2012年01月01日

おめでとうございます。

旧年中お世話になった方々、どうもありがとうございました。

日本だけでなく世界中が激動し、心動かされた年でもありました。
ケイザイが不安定、セイジが不安定。。
何を信じていいか判らない、まさにカオスへの突入。
そこからなのか、ヒトのつながりを強く感じた一年でした。

東北に向けてボクができることを持って行く。
日本、一億三千万分のイチのボクができること。
初心に帰し、ボク自身ができることをもう一度考え直す。
ひとつのこと、信じたことを最後まで成し遂げる。

今年もよろしくお願いいたします。

感謝
2012年 紀伊修平  
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2011年11月14日

東京に。。

今日は、久しぶりに丸一日予定が無かった。
前日夜の時点では映画館をはしごしようとか思っていたのだが、天気がすこぶるいいという。
久しぶりに、そして今年最後だろう?バイク日和だ。
早起きしてバイクを西に走らせる。

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これまた久しぶりの朝マック。
マクドナルドはメニューの写真を期待しても、出てくると半分以上しぼんでる。
がっかりして、その日のモチベーションが下がるからあまり行かない。

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奥多摩湖。
車で来る人、バス、バイク、自転車、ジョギング、徒歩。
それぞれ違う時間の流れの中でそこにいるので、日だまりの中にいても何故だか個々の空気感が違う。
でも、それぞれ同じ休日の時間を過ごしている。

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今日の目的地はここ。
日原鍾乳洞。
「にっぱら」と読むみたい。

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バイク置き場も車に占拠され、申し訳なさげにバイクを突っ込む。
いま楽しんでいるバイク。KTM。
あまり乗れる時間も無いのだが。

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鍾乳洞入り口から先は、落石のため通行止。
3月の地震で白い山壁が剥がれ落ちたみたい。

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入り口入ってすぐから圧巻される。
不思議に緊張感をおぼえる。

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東京にこんなところがあったんだ!
聞くとこの辺りは名前も知られていない鍾乳洞が数多くあるという。
いらない好奇心が湧くいてくるなぁ。。

今日一日、静かに時間が流れ、
沸々と湧き出てくる、何かしらのパワーをもらった気がする。  
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2011年11月04日

衣替え

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ようやく今年はお役ご免となった扇風機からストーブへと衣替え。
扇風機はボクが産まれたころのものを、ばあちゃんからもらった。
ストーブは20年来使っている、アラジン ブルーフレーム。
どちらも長年の付き合いなので手放せない。
この後、扇風機は分解掃除し、来年夏まで冬眠。
なにぶん古いもんなんでね、塵ひとつでも火災の原因になる。念入りに。

うしろにたたずむ棚は完成した例のやつ。
また製造工程、この日記に書こうっと。
長かった。。  
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2011年10月05日

釜石へ

ちょっと前、またボランティアに行ってきた。
今回は岩手釜石。

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ガレキの山がいたるところで見られる。
この船も、いつまでこんなところに鎮座しているのか。

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各自治体によって、復興に対する対応対処は、まちまちのようだけど、釜石はその中でもかなり遅れていると聞きます。
すべてがすべて、平等になんて訳にはいかないだろうけど、どうにかならないものだろうか。

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これは、津波の後、アメリカ軍が立ち入り確認したサイン。
すごく解りやすく、生存者、死者、不明者が明確に記されている。
3月14日 15時40分確認済みと見てとれる。
こういうシステムが訓練の中で用意されている。
日本はマルかバツだけ。
他にイギリス、中国のサインが残っていた。

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今回のボランティアの目的は釜石の人たちに、少しの時間でもリラックスし、楽しんでもらうため。
ボク達でクレープや焼きそば、すいか、そしてビールなどを振る舞った。
手前の「釜」は津波でぶち切れた信号の柱の破片を溶断し、鉄作家の徳さんが作ったプランター。

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この方たちは現在、仮設暮らし。つらいことも味わった。
気持ちいい飲みっぷりだった。
いま欲しいものは何?って聞いてみると、できるだけヒールの高いハイヒール。と言っていた。
津波のあとは、これから先、もうスニーカーがあれば十分だと思っていたけど、落ち着いてくると、欲って出てくるもんね。だって。

それから、海っぺりに来たら、まず自分の居場所を確認し、どこが一番近い高台か、どこに3階建て以上の建物があり、登り口はどこか。
まずそれを確認しろ、会う人会う人に言われた。
そうだ、いつ何どきまた起こるかしれないんだ。

あまり写真撮らなかったから無いんだけど、
この日は子どもたちの笑顔が最高だった!

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ご縁もできたので、釜石には定期的に足を運びたいと思っています。
そのときは、俳優としてなにか心を豊かにさせてあげられること。
難しい課題だけど、無い頭しぼって考えよう。

Never Give Up! KAMAISHI!!  
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2011年08月02日

原田芳雄

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ボクが大好きな、尊敬する俳優、原田芳雄さんが旅立たれた。

7月19日 9時35分。
この日、ボクは東京を離れていて、昼過ぎ、友人からの電話で知った。
何度も聞きなおした。
いてもたっても居られない、芳雄さんちに行かないと。
しかし、その日はどうしても無理だった。

翌日、朝から伸び放題だった髪を整えに急いで髪切へ。
そして原田家に向かった。
何でもいいから手伝いがしたい。
そして芳雄さんに会いたい。

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芳雄さんとは、何度か映画テレビでご一緒させていただいた。
でも、最初にお会いしたのは現場ではなく、原田家で毎年行われている餅つきだった。

最初に現場でお会いしたのは「ざわざわ下北沢」。
真っ先に芳雄さんに挨拶に行くと、「おうおうおう、」と手を出してきて、握手をしてきてくれた。
外面は平穏を保っていたが、内心バクバク舞い上がっていた。

最後にご一緒できたのは、NHKドラマ「白洲次郎」。
顔合わせ、本読みでNHKのスタジオへ。
真っ先に芳雄さんに挨拶に行くと、「おうおうおう、」と。。
10数年前、どこから転がり込んだかもわからない馬の骨のボクに、快く手を差し伸べてくれる。

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最初餅つきに行かせてもらったときは、ボク自身ミーハー的に舞い上がった感があった。
しかし実際そこに足を運ぶと、どんな名のある方たちより、家族親戚を大事にする芳雄さんの姿があった。
ボクの父は芳雄さんと同い年、昭和15年生。
父は自営業なので、今でも現役で仕事を続けている。
それまでは反撥ばかりしてきたが、これを機に、家族とは何か?
真摯に向き合う機会を与えてくれた。

そして、映画でのキャラクターで見えるアウトロー。
それ以上に、きめ細かな気遣い、気配り、繊細さ。無限大。
ボクみたいなのが、演技的な質問を投げかけても、手を抜くことなく真剣に答えてくれる。
包容力。繊細さ。そして色気。。

餅つきの写真は、今まで一枚も撮ったことがなかった。
撮ること自体、野暮だと思っていた。
しかし、この年末は、何故だか撮りたくなった。

何を書いていいか、わからなくなってきた。。


芳雄さんには、映画の中で会えます。
だから悔いることはありません。
しかし、日本映画界の牽引者を失ったことは残念でなりません。
そして次世代のボクは身が引き締まる思いです。

さらに、ご家族のことを考えるとほんとうに残念です。
ご冥福をお祈りします。

紀伊修平



  
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